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能登坂 俊のファンタジーな世界
能登坂 俊 プロフィール
 ■ 本名: 野村健一( のむら けんいち ) Kenichi Nomura( ノムラケンイチ )
 ■ ニックネーム: nomuken、Pecoyon.a
 ■ メールアドレス: nomuken@cotton.ocn.ne.jp
 プロフィール 1959年生まれ。証券会社の勤務の後、何度かの転職を経験。フリーランスとしてPerl JavaScriptプログラマー経験。
  TVのデジタル化・インターネットの普及にソーシャルメディアの定着に伴い、私たち個々の歩みにあるそれぞれの人事に絡む事柄や物象の経過的な変化が身近に感じられます。個人を基準に抽出されるデータベースを個人が参照している様子ですが、その時に取り囲む電波や声域(人の肉声など)が脳や心理に影響していく過程にも求め、私たち個々の基準に抽出され配置された人事や物象に絡む結果や現象が何年何十越しに現れたものに過ぎない現象で不作為であることを説明したファンタジーエッセイ。
  
 [プロローグ]
 学童の頃、皆様と同じように、普通に勉学に勤しむと、殆んどの問題に答えることができる楽しさを肌で知り、中学生になる頃は目を輝かせて知識を得る喜びに浸っていました。
   小学6年生の頃、朝早く登校し試験の模範解答を下敷に写したものを答案した過ちは、その頃には既に私の脳裏に浮かばない足跡でした。
 [偶然の不運]
 フリーランスとしてソフトウェア開発業務に就く時期の2009年6月、歯科頓服薬を服用後のわずかな一瞬、我に返ると店舗の並ぶ国道に飛び出し感情が晒され、被自己否定が顕在化するような偶然の事故に遭いました。
  非難されても当然、仕方のない非難の声に、踏ん張り耐えたい思いは精神鈍麻の方法を模索し、極力右手を避けて左手を使う、首の右回り捻転、右ヴェクトルに左手を使う方法を習慣つける。
 
 [ついていない出来事]
 そのような中、2008、9年頃のNHKの岸和田市立新条小学校にイノシシが侵入したというニュース報道が、非難の声の担保のように浮上し、1971年、小学6年生の頃、朝早く同学校校舎に登校、試験の模範解答を下敷きに写した苦い過ちの記憶を引き出させることに。
 
 [作為に見える時]
 データベース情報とは、私たちが知らない情報、例えば、停止または注意信号の灯る人物や事象、インフラ設備(道路や橋梁、河川など)、自然区域などについての情報を網羅している状態を指します。駒とは私自身はじめ皆様個々を指します。このようなデータベース情報を元に、反オンデマンドに、駒が進められると駒は不作為のものを作為に感じることになり、また、日々あらゆるケースの否定感に晒されているとそのひとつを引き当てる結果が作為感につながるようです。
   例えば、貴方がある人を許せないと思っている時にある事故事件が作為に見える時、それを罰が当たった、ある人の業を示している、あるいは嘱託性を感じ悪いことと知りながらも暗躍する味方がついていると心に余裕が働く、または、ヤクザといわれる任侠が働いていると思っていると、
 
   
 [エピローグ]
 元々作られたものであれば、作られたもので現実の世界で評価されて、次第に反社会性をアピールされることも自然の流れです。気が付くと、反社会的と評価されている懸念、例え作りものでもこのような出来事に罪悪感を感じて遠慮し、就業・就職などの社会生活活動に影響を及ぼすことになってしまいます。
   私自身のそのような経験です。2018年4月、能登坂 俊として出版、国立国会図書館 へ寄贈させていただきました。
   執筆と出版の後で
   もし仮に、ひとつの事故や出来事が、いわゆる通謀(つうぼう)行為の結果だとしてもそうでない、と言うこと。そうすれば、たとえ次のアクシデントに遭遇した時に、それで済み、少なくとも三人称の事象へ加害をもたらす、波及させることはありません。 自己解釈ですが、般若心経の後半部に記載されている「真実」の意味に触れる経験をさせていただきました。
 
 私は弱い人間ですので、
 生命が生まれるところからはじまり夢が倒れることがないでひと区切り、大がかりな策のように呪や恨みを念じて願っても苦しみは消えることがない、消えるとすれば一切の苦しみは真実で消えてそれは何の因果もないことをで終わる、そのように般若心経を自己解釈させていただき、忘れないように、また、物事の動機に悩まされる時のほか、辛い時に般若心経を思い出し、心身健勝に努めたいと思います。
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